どうも、ノリーです。
あなたはどんな病と戦っていますか?
私は病とは戦いません( ・´ー・`)どや
サムネにもある通り、これからはうつと仲良くしていきます( ・´ー・`)どや
アトピーも同様です( ・´ー・`)どや
枡野俊明さんの『図太くなれる禅思考』という本の影響です。
今回はこの本の紹介と感想を少し書いていきます。
禅思考とは?
この本のタイトルでもある「禅思考」。禅的な考えのことですが、一体「禅」とは?
と思うのですが、禅がすべてわかるなんて人はすでに悟りを開かれているのだと思います。
この本を読めば、その禅思考を少しわかった気になれます(^^)
Don't Think,Feel!
私は禅寺生活の経験があります。
そこの和尚さんに『禅』を訊くと答えません。
和尚さんのある面白いエピソードを。
修行者さん 「境内にあるあのきれいな花の名前はなんですか?」
和尚さん 「はい…」その花を指差し無言
修行者さん 「えっとー(´・ω・`)」
和尚さん曰く禅というのは言葉では表せないもの何だと。感じたこと全てが禅であるということをおっしゃっていました。なので、花の名前は言わず、感じてくださいという意味で指差したのだと。
深いな。。。(?_?)
でも和尚さん、庭の手入れはきれいにするけど、花の名前は知らなかったみたいです笑
この本を読んで「私が思う禅思考」
それは「シンプル思考」なんだろうなと思います。
- 人とは比べない
- ありのままを受け入れる
- 「いま」に集中する
全編を通してこのような考えがあったような気がします。
頭の中に余計な登場人物いらない。自分と向き合い、目の前のことを一所懸命にやれ。
そう言われた感じがしました。
病はサイン
病気になることは
禅の修行に等しい
引用:図太くなれる禅思考 枡野俊明 著
病気は大切なことを教えてくれる。
酷使している部分は調子が悪くなっていきます。物も人も同じですね。
調子が悪くなってくれば、休めのサインなんだろうな。
禅の修行は、自分の身体にや心に耳を傾けるようなところが多いんだと思います。そんなことから、病との向き合い方は修行と等しいとおっしゃっているんだと思います。
平常は「有難い」
「ありがとう」という言葉は禅語が語源で、「有る」ことが「難い」という意味からきています。
「今あるものは全て、誰かが苦労してここにあるのだ」「だから全てに感謝をしよう」
こんな考えはなかなか平常時にはできません。
でも、その「平常」がなくなると、いかに「平常」がすごいことかわかります。
私もうつ病になって、身にしみました。普通の生活ってすごいんだなーって思います。そんな普通の生活も周りのみんなや自分が作っていたもの。
平常は「ありがとう」。
病は受け容れてやっと治療スタート
「あるがままを受け容れる」
これは禅的生活の実践であると著者の枡野さんが書いています。
「がんとは仲良くやっておる」
嫌だろうが、泣こうが、喚こうが、がんが消えることはありません。そうであったら一緒に生きていく以外にはない。共に生きるなら、仲違いするよりは仲良くするほうがいいではないか
引用:図太くなれる禅思考 枡野俊明 著
枡野さんが先輩僧侶の方の言葉を書いたものです。
私は病を受け容れることで、「自分の体を知ろう、症状の原因を知ろう」という気持ちが出てきました。うつ病もアトピーも落ち着いてきたのがこの気持があったからだと思います。完治は難しい病だと思っているので、「仲良く」していきます。病気を恨んでもストレスが増えるだけだとわかりましたから(^^)
と言いつつ難しいですよね(^_^;)理想でもあります。。。
病とは仲良くする
「病気には負けない!」って気持ちは大事だと思います。
でも病気には、現状に身体が負けちゃったから病気になったと考えれるものもあるから、仲良くするのも一つの手です。
病気を嫌ってストレスを溜めると余計治りも遅くなりますからね。
あなたもこの本を読んで、自分の身体と仲良くなってみてはいかがでしょう?(^^)
ではでは